1990年代の夏の甲子園の鹿児島県代表は、優勝こそありませんでしたが、優勝に限りなく近い準優勝やベスト4もあり、黄金時代を迎えていました。
80年代は低迷していた鹿児島実業が勢いをつけ、鹿児島商工(樟南)と共に全国に名を轟かせました。
毎年楽しませてくれた90年代の夏の甲子園での鹿児島県勢の活躍を振り返ってみます。
90年代鹿児島県勢の成績
90年 鹿児島実 ○9-0日大山形
○4-3高知商
○4-2松山商
●3-4西日本短大付
91年 鹿児島実 ○5-3旭川工
○5-4桐蔭学園
○7-3市川
●6-7沖縄水産
92年 鹿児島商工 ●県岐阜商
93年 鹿児島商工 ○4-3東濃実
○3-0堀越
●0-1常総学院
94年 樟南 ○8-2秋田
○4-1双葉
○14-5長崎北陽台
○10-2柳ヶ浦
●4-8佐賀商
95年 鹿児島商 ○8-3水戸商
●13-15旭川実
96年 鹿児島実 ○6-4富山商
○5-3市立船橋
○9-2倉敷工
●2-5松山商
97年 鹿児島実 ●2-4浜松工
98年 鹿児島実 ○4-0八戸工大一
●0-6横浜
99年 樟南 ○4-0秋田
○10-1新湊
○2-1都城
○4-0青森山田
●0-2桐生第一
準優勝1回、ベスト4が2回、ベスト8が2回です。
初戦敗退は2回しかありませんでした。
特に91年の鹿実、94年、99年の樟南は優勝してもおかしくなかったです。
この時代に1度優勝しておきたかったですね。
年ごとに詳しく振り返る
1990年 鹿児島実業
この年は何といっても内之倉選手です。
スラッガーということで言えば、鹿児島県史上最強ではないでしょうか。
あのホームランの放物線はとてもきれいでした。
エースの上園投手も、小柄ながらキレのあるストレートとスライダーを投げ込んで、これまでの鹿実のエースのイメージを変えました。
現監督の宮下選手の先頭打者ホームランも印象に残っています。
1991年 鹿児島実業
この年の鹿実の打者はタレント揃いでした。
一番印象に残るのは、前年から活躍していた竹脇選手です。
好打者の俣瀬選手や福元選手、強打の捕手・味園選手などもいて、いつでも点が取れるようなワクワクする打線でした。
投手は特定のエースがおらず、色々な投手がマウンドに上がっていましたが、それも見ていて面白かったです。
90、91年の鹿実は選抜にも出ていて、春夏合わせて14試合で何と72点も取っています。
1992年 鹿児島商工
鹿児島商工が出場し、初戦で県岐阜商に惜しくもサヨナラで敗れました。
エースの浜田投手は真っすぐとスライダーの切れがあり、鹿商工(樟南)らしい好投手でした。
ここから鹿商工(樟南)が3年連続で出場しますが、3年ともよく似たチームで、ここから段階的に93、94年とチームも成熟していきました。
1993年 鹿児島商工
とても印象的だった94年の鹿商工の戦い。
福岡投手ー田村捕手の2年生バッテリーです。
初戦をサヨナラ勝ちし、2回戦の堀越戦は8回を迎えるまで3-0でリードしていたところで大雨が降り、降雨コールド勝ちでした。
ある意味ついているとも言えますが、最後まで戦えず、校歌も歌えずに残念な部分もありました。
そして、3回戦の常総学院戦は打線が畳みかけて序盤で4-0とリードするも、また雨が降り出し降雨ノーゲームになってしまいました。
最高の展開だっただけに実に悔やまれました。
そして再試合では、福岡投手が素晴らしいピッチングをするも0-1で敗れてしまいました。
雨に振り回されたこの年の鹿商工でした。
1994年 樟南
この年から校名が鹿児島商工から「樟南」に変わりました。
福岡ー田村のバッテリーの最後の夏です。
この年の樟南はよく打ちました。
初戦の2回戦、3回戦と危なげなく勝ち上がり、準々決勝、準決勝も同じ九州勢の長崎北陽台、柳ヶ浦に大勝して決勝進出します。
そして決勝の相手も九州勢の佐賀商でした。
これまでの流れ、同じ九州勢ということもあり、おそらく優勝するものと思っていました。
深紅の優勝旗を前の目にして、少し平常心を失ったようなところもあったように見えました。
相手の方が無心だったのかもしれません。
優勝は逃してしまいましたが、夏の決勝進出はいまだにこの年の樟南だけです。
1995年 鹿児島商
鹿商は、90年代では唯一の出場になりました。
2回戦で記憶に残る大打撃戦の末、旭川実に13-15で敗れました。
諦めかけたら追いついたり、勝ちを確信したら追いつかれたりと、見るものからすれば非常に面白い試合でした。
初戦では水戸商を8-3で破っていますし、この年の鹿商も打力はかなりあったと思います。
夏はこの年以来出ていないので、また復活してもらいたいです。
1996年 鹿児島実
センバツで優勝して、春夏連覇を目指して臨んだ鹿実。
選抜優勝校は、PL学園、横浜、大阪桐蔭などの特筆した戦力を持っていたチームを除き、夏は苦戦して出てこれない事も多々ありますが、しっかりと勝ち上がりベスト8に進出しました。
春はロースコアの接戦をものにして勝ち上がり優勝しましたが、夏は打撃も力をつけていてよく打ちました。
1年間で甲子園8勝は、鹿児島県勢ではもちろん最高です。
1997年 鹿児島実
県予選では、秋とNHK旗を制した優勝候補の樟南を、準決勝で延長11回の末2-1で破り、決勝では玉龍相手に13-11と接戦をものにして、苦しみながら代表の座を掴みました。
杉内投手が2年生エースでした。
甲子園では初戦で浜松工に2-4で敗退してしまいました。
1998年 鹿児島実
鹿実が3年連続代表。
初戦の八戸工大一戦で、杉内投手がノーヒットノーランを達成しました!
県勢の投手のノーヒットノーランをまさか見れるとは思っていなかったので興奮しました。
2回戦では、松坂大輔擁する春夏連覇の横浜と対戦して敗れました。94年のこの年は大会自体の注目度も高く、記憶に残る年でした。
1999年 樟南
樟南がベスト4進出。
上野投手、鶴岡捕手のバッテリーを中心とした堅い守りや、2年生で4番を打つ青野選手、ショートの柳田選手も好選手で、とてもいいチームでした。
特に上野投手のピッチングは圧巻で、外角低めに決まるストレートとスライダーは素晴らしかったです。
準決勝の桐生一戦は実に惜しかったです。
ゼロ行進の試合の中で押し気味に試合を進めますが、あと1本が出ず、逆に9回にワンチャンスをものにされて敗れてしまいました。
決勝は桐生一が大勝していることを考えると、この試合をものにしていればと、どうしても思ってしまいます。
この年の樟南は準優勝した94年以来の出場になりましたが、どちらも限りなく優勝に近い戦いぶりでした。
90年代は春も強かった
鹿児島の高校野球黄金時代の90年代は、春の選抜でも活躍しました。
何といっても96年の鹿実の優勝が光ります。
春夏通じて鹿児島県勢唯一の全国制覇です!
90、91年は鹿実が2年連続のベスト8。
春夏4季連続出場で、猛打の鹿実を全国にアピールしました。
93年は鹿商工、鹿実の2校が出場しました。
21世紀枠を除いて、県勢が2校出場したのはこの年以来まだないです。
鹿商工はベスト8に入りました。
選抜の歴史の中でも、90年代は飛び抜けています。
1960年代以降で見てみても
- 60年代 出場2回 0勝
- 70年代 出場5回 2勝
- 80年代 出場5回 2勝
- 90年代 出場7回 12勝
- 00年代 出場5回 5勝
- 10年代 出場6回 6勝
70年代以降は、5割以上の確率で鹿児島から代表を出せるようになりましたが、夏に飛躍した80年代も2勝止まりと、勝利には結びついていませんでした。
00年代の5勝は、神村学園の準優勝が大きいです。
2010年代は、大体初戦は勝利しますが、その後が続かない感じでした。
夏もその傾向がありましたね。
春の結果を見ても90年代の強さが分かります。
90年代は春夏合わせて鹿児島県勢33勝中、鹿実20勝、鹿商工(樟南)12勝しています。
県民の方は鹿実と樟南の校歌を覚えたのではないでしょうか。
黄金時代を彩った好選手達
90年代に鹿児島県から夏の甲子園に出場した選手には、プロに進んだ選手、またはプロに行かなくても素晴らしく印象的な選手がたくさんいました。
プロ入りした選手(敬称略)
- 内之倉隆志(90・鹿実)
- 内薗直樹(91・鹿実)
- 田村恵(93、94・樟南)
- 下窪洋介(96・鹿実)
- 杉内俊哉(97、98・鹿実)
- 上野弘文(99・樟南)
- 鶴岡慎也(99・樟南)
- 青野毅(99・樟南)
またこの年代には、夏の甲子園には出場できませんでしたが、鹿児島で高校野球をやり、後にプロへ進んだ木佐貫投手(れいめい)、川崎選手(鹿児島工)、本多選手(鹿実)などもいました。
印象に残っている好選手(敬称略)
自分の主観になりますが、プロ入りしなかったけど好選手で印象に残っている選手を上げてみます。
- 味園博和(91・鹿実)
- 俣瀬直樹(91・鹿実)
- 竹脇賢二(91・鹿実)
- 福元健(91・鹿実)
- 浜田光洋(92・鹿商工)
- 井ノ阪和幸(93・鹿商工)
- 福岡真一郎(94・樟南)
- 有村浩一(94・樟南)
- 林川大希(96・鹿実)
- 柳田俊幸(99・樟南)
他にもたくさんいますが、後にプロに進んでもおかしくなった選手をざっと上げてみました。
それ以外でも印象に残っている選手は大勢いて、高校野球がとても楽しめた時代でした。
やはり、この90年代に一度でも夏優勝しておけばと思ってしまいますが、近い将来必ず達成してくれることを願います。